どうも!ケイトです。
クリュニー修道院、ベネディクト修道会、フランチェスコ修道会、シトー修道会、ドミニコ修道会、全部説明できますか?説明できる方はスマホを閉じて結構です。
今回は徹底的にこれら4つの修道院、修道会まとめをしていきます!
Contents
ベネディクト修道会
修道院の始まりとも言われている、ベネディクト修道会。修道会というのは、修行のために集まる団体のことです。
ベネディクト修道会は、6世紀にベネディクトゥスがイタリアのモンテカシノに開いたものです。
特徴としては「祈り、働け」をモットーに、超厳しい戒律を守りながら修行する、というものでした。
またまたそれが世間にうけ、各地に広まり、「修道院」という存在の始まりとなりました。労働は奴隷がするものという常識をぶち壊したという点でも重要です。
まとめると、ベネディクト修道会は「6世紀にベネディクトゥスがイタリアのモンテカシノに開いた、”祈り、働け”がモットーの超厳しい最古の修道会」ということになります。
覚えておきましょう。
クリュニー修道院
クリュニー修道院とは、フランスにある修道院です。
教会が腐敗し始めた10世紀頃に、このままじゃダメだ!と改革運動をおこしたことで有名な修道院です。
叙任権闘争関連のお話があやふやな人は、教会の腐敗について復習してみてくださいね。教会は金と権力にまみれて落ちぶれていきましたよね。
グレゴリウス7世はこのクリュニー修道院の改革に影響されて、叙任権闘争、カノッサの屈辱につながる改革を行ったことでも有名です。
ちなみに修道院は、日本のお寺みたいなもので、世を離れて共同生活を送りながら、修行をする場所です。
なお、クリュニー修道院は、ベネディクト修道会の厳しい戒律を受け継いだ質素な修道院でしたが、この修道院の存在感が大きくなるにつれて修道院の外観もきらびやかになり、「質素」とはかけ離れていきました。
クリュニー修道院が損なった「質素さ」を取り戻そうとしたのが、次に紹介するシトー修道会です。
シトー修道会
時は12〜13世紀。この時期は、森林を伐採して農業できる場所を広げよう!という運動が行われた大開墾時代です。
この開墾運動を率先して行ったのがシトー修道会でした。フランスのシトーにあり、ベネディクト修道会から派生しました。
あの厳しいベネディクト修道会の仲間ですから、労働をしよう!勉強しよう!という意欲が強かったのが特徴です。
自ら農具を取って開墾を行ない、新しい農法も開発するなど、農業技術の向上にも一役買いました。
ただ、厳しさをうたっていたシトー修道会も、クリュニー修道院と同じように、修道院の存在感が大きくなるにつれて態度が大きくなり、「質素」とはかけ離れていきました。
托鉢修道会
托鉢修道会とは、衣服以外の所有を認めず、信者に食糧を乞うたりして、人々の善意で生活する団体のことです。
教会の腐敗の反省から設立され、禁欲の生活をベネディクト修道会よりも徹底しました。一番厳しい修道院といっても過言ではないでしょう。
托鉢修道会としては、以下の2つが有名です。
この2つはシトー修道会と同じく、13世紀にあったもので、開墾運動を行いました。
フランチェスコ修道会
13世期にフランチェスコが始めました。教皇インノケンティウス3世によって公認されました。モンテコルヴィノとはじめとして、世界中に人を送り込んで布教を行いました。
ただ、この修道会はその厳しさから異端の取り締まりとして活躍したという記録があります。
ドミニコ修道会
13世期にドミニコが始めました。
当初はフランチェスコやドミニコの主張に共感した人々が集まって活動していて、正式なものではありませんでしたが、
とても優秀な神学者がここから誕生し、パリ、ボローニャ、ケルン、オックスフォードなどの大学に神学教授を輩出しました。トマス=アクィナスもここ出身でした。
まとめ
いかがでしたか?
教会批判のクリュニー
大開墾のシトー
托鉢のフランチェスコとドミニコ
まとめてみたら単純だけど、これをやらない人って結構います。周りの受験生と差をつけて、合格を勝ち取ってください!
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それでは!
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