【3分】隋・唐を分かりやすく!滅亡の理由は?

どうも!ケイトです。

 

王朝の始まり、繁栄、滅亡は流れを追っていく上で大切です。

 

この記事では、隋は短いのでさらっとやってから、唐を3分間クッキングしていきます。それでは、いきましょう!

Contents

 

隋は魏晋南北朝時代という分裂時代を統合した王朝です。時は581年。北朝の北周の外戚であった楊堅が文帝として建国しました。589年に南朝の陳を滅ぼして、中国を統一します。

 

都は大興城です。覚えておきましょう。

 

隋はたった2代で終わってしまうのですが、必ず覚えておいて欲しいのが、煬帝という2代目の皇帝です。

 

彼は、悪評が半端ないですが、やったことは主に2つ。大運河の建設という公共事業と、3回に渡る高句麗遠征です。

 

大運河の建設は、経済の活性化の面では高い評価を得ていますが、その他の公共事業、例えば、副都の洛陽の建設などの土木工事に農民を徴発し、酷使したために、農民の生活が困窮してしまいました。

 

もうひとつの高句麗遠征は、理由としては色々ありますが、隋の北側にいた突厥と高句麗が結んで隋に刃向かってくるのではないかと怖くなったからという説があります。

 

また、朝鮮三国のうち、新羅と百済は隋に朝貢し、冊封体制に入ったのに、高句麗はそれに従わなかったので、「お前らも従えや!」とキレたためという説もあります。

 

この高句麗遠征を3度も行いました。そのため、高句麗の反発され、さらに隋の兵士の内乱でボロボロになっていきます。

 

誕生

 

 

隋が煬帝への大ブーイングで混乱してる中、挙兵し隋を倒したのは李淵という人物でした。都は長安に設定します。

 

2代目の太宗またの名を李世民は中国を統一し、東突厥も仲間にします。次の高宗は、オアシス都市や高句麗、百済を攻略して、そこには都護府を置きました。

 

都護府とは、その地域の政府というような感じで、統治はその地域の人に任せていました。唐の統治下にはいるけれど、その地域の統治は現地の人がやる、というのを羈縻政策と言います

 

ゆるーく繋ぎ止めておくという意味合いがあります。覚えておきましょう。

 

制度いろいろ

 

三省六部

唐は隋の制度を受け継ぎましたが、唐はより洗練された律令国家になりました。

 

政府には、三省、六部、御史台が設けられました。

 

三省は中書省、門下省、尚書書の三部門。

 

中書省は法律をつくる係、門下省はやるかどうか話し合う係、尚書省はそれを執行する係です。1番重要な部分はどこかというと、やるかどうか話し合う門下省ですね。

 

この3つは、注文しよう!という語呂合わせで覚えましょう。

 

ちゅう→中書省

もん→門下省

しよう→尚書省

ですね。

 

六部は、吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部に分かれています。

 

ヘレン結婚すぐ離婚で覚えちゃいましょう。

 

ヘ→兵部

レン→礼部

結→刑部

婚→戸部

離→吏部

婚→工部

これらはそれぞれ専門分野を扱う部門ですね。例えば、礼部は教育、戸部は財政って感じです。

 

均田制

唐がどうして、三省六部という機関をつくったのかというと、この均田制をやるためです。均田制は、土地を均等に支給し、税を納めさせる制度ですね。

 

戸部が経済を担当しているのは、しっかり戸籍をつくり、それに合わせて均等に分配するためなのです。

 

ちなみに税の内容は租庸調ですね。

均田制と屯田制の違いって?

女帝誕生

8世紀になると、中国史上たったひとりの女帝が登場します。それが則天武后という人物。

 

高宗の妻なのですが、彼女はずっと「私はもっと上手く統治できるのに!」とおもっていました。

 

高宗が病弱だったので、裏から指示していました。

 

高宗の死後、子供たちが皇帝の位に着きますが、次々に降ろし、結局自分が皇帝になってしまうのです。

 

それが則天武后。彼女は、科挙制を整備したことで有名です。死後、お母さんに皇帝の位をおろされた中宗が皇帝につきます。

 

しかし、この位を狙った女性がいました。それが、韋后(いこう)。中宗の奥さんです。

 

彼女は怖いですよ〜。中宗を毒殺してしまうのですから。そして、政権を握り、世の中を動かしました。

 

このように女性2人が世の中を混乱させた出来事を、武韋の禍(ぶいのか)といいます。

 

滅亡

この混乱をおさめようと位に着いたのが玄宗という人物。

 

当時、商業の発展や人口の増加で貧富の差が広がり、没落して逃亡する農民が増えるという問題を抱えていました。

 

農民がいなくなるということは、土地を配る人数が減ります。

 

そうなれば回収できる税も減るわけです。こうして、均田制、租庸調制が音を立てて崩れ去っていきます。

 

税の一環で、兵役も課していたのですが(府兵制)、それもできなくなっていきます。しかし、兵隊がいないのも困るので、傭兵を集める募兵制を開始しします。

 

この傭兵の指揮官を節度使と呼び、彼らを国境に派遣して防衛させました。

 

がしかしです。

 

玄宗はこんな大変な世の中なのに恋に夢中になります。相手はあの三大美女の楊貴妃。政治はほったらかしになり、国民の怒りを買いました。

 

節度使の安禄山、その武将の史思明は反乱を起こします。これが安史の乱ですね。安禄山の安、史思明の史。

 

この反乱は8年も続き、ウイグルの協力を得てようやく鎮圧しました。

 

しかし、唐はボロッボロな状態。それに漬け込んで、有力な節度使はそれぞれ実権握って、統治を始めてしまいます。

 

この領域のことを藩鎮といいます。

 

財政の再建のために、土地に応じて税収を決める両税法を採用。商業を発展させるために、塩の専売をし、密売人を取り締まりました。

 

しかし、もう崩れ始めたら一気に崩れますね。塩の密売人である黄巣が反乱を起こします。

 

黄巣の乱です。

 

共鳴した人たちがどんどん戦い始め、やがて全国に広がりました。そして、ついに唐は節度使の朱全忠に討ち取られ、幕を閉じます。

 

まとめ

いかがでしたか?

唐を解説しました!滅亡までの流れは結構よく出るので覚えておいてくださいね。

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それでは!

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