【世界史】ヒクソスとヒッタイトって何が違うの?覚え方も!

 

どうも!ケイトです。

世界史って分かりにくい言葉の宝庫ですよね。今回は、ヒクソス、ヒッタイトの違いを解説すると共に、中東地域に現れた民族や王朝の名前をすべてさらっていこうと思います!

それではいきましょう。

 

Contents

ヒクソスとヒッタイトの違い

ヒクソス

ヒクソスとは、エジプト文明の時代に出てきた民族でした。エジプト文明の時代があやふやな人は、以下の記事で復習してしまいましょう。

エジプト文明の特徴を歴史を解説しながら分かりやすくまとめてみた!

エジプトの中王国は、ヒクソスの侵入で結構混乱し、崩壊。その後、新王国ができ、ようやくヒクソスを駆逐できたのでした。

 

また、二つの王国の首都はテーベでしたね。一緒に基礎知識も覚えてしまいましょう。

 

ヒッタイト

 

次にヒッタイトとは、小アジアに国を建てた民族でしたよね。古バビロニア王国を倒したことで有名です。

 

また、ヒッタイトが出てきたら、思い出してほしいのは「鉄器」です。

 

鉄器を武器として使用し、製鉄技術を独占したことで知られています。また、エジプトの新王国を実質倒した「海の民」に、ヒッタイト王国も侵入され、滅亡してしまいます。

覚え方

 

ヒクソスは、エジプト関連ということで、「ヒクソス」も「エジプト」も4文字ということで覚えましょう。

 

ヒッタイトは、鉄器ですね。ヒッタイトの「ヒッタ」と、鉄器の「テッキ」で、小さいツが入ることで、こじつけて覚えてしまいましょう。

 

もう一気に復習してしまおう

 

ヒッタイトとヒクソスの違いを解説しましたが、他の民族も気になってきましたよね。ってことで、復習してしまいましょう。

シュメール人

 

メソポタミアの南部にて、灌漑農業の発展に伴い、人口が増え、村落が成立します。やがて楔形文字が発明され、銅器、青銅器などの金属器が使われ始めます。

 

金属器は、土器に比べて耐久性が良く、しかもリサイクルできたという超画期的な道具なんです。

 

これ紀元前3500年に存在したって凄くないですか?武器や祭具、身を守るための道具としても使われたんです。(めっちゃ便利)

 

村落はどんどん大きくなり、都市になります。そして都市は独立して国家のようになります。これを都市国家と呼びます。

 

そんな都市国家を作ったのはどんな民族だったかというと、シュメールという民族です。

 

ちなみに民族系統は不明で、これはたまに試験に出ます。川の上流辺にあるウル・ウルクなどの場所で、シュメールの都市国家が多数形成されます。

 

都市国家の内容は、というと王を中心に、神官、役人、戦士がいて、みんなで神を祀る、という神権政治の形でした。

また、ジッグラトってご存知ですか?レンガで作られた塔で、神になるべく近くなるように、天高く作られたものです。

 

バベルの塔という物語では、天高くつくりすぎて神の怒りを買い、これまで一つだった言語が幾つにも分かれてしまったということが語られています。神を祀るために作ったのに、神の怒りを買うなんてなんだか皮肉ですね。

 

しかし、神を祀ったりできる人は、祀る時間があるくらいの、まあまあなお金持ちで、政治権力も握ったりしちゃいました。はい、というわけで、富めるものはどんどん富み、じゃんじゃんお金を使って、神殿や宮殿が多く作ったため、シュメール人文化は栄えていきます。

アッカド人

シュメール人の都市国家のあった北側にはセム語系のアッカドという民族がいました。

 

余談にはなりますが、メソポタミアを勉強する時に覚えておいて欲しいことは、「人の移動が盛んに行われるために支配する民族がどんどん変わっていく」という点です。

 

国境とか結構曖昧だからです。それが如実に表れているのが、アッカド人とシュメール人で、こんな感じ。

 

アッカド人とシュメール人の領域が合体し、誰が権力を握るかを争っているうちに、アッカド人が優勢になり、その結果アッカド人が支配。

 

主導権を握ったアッカド人はメソポタミア、シリアの都市国家を統一し、広い国家をつくることになりました。

 

アムル人

 

アッカド人の国家が崩壊すると、セム語系のアムルが登場します。セム語系というのは、言語グループの一つで、アラビア語やヘブライ語が属しています。

 

アムル人はバビロン第一王朝を起こします。結構栄えた王朝です。有名な王が、ハンムラビ王。

 

彼の治世時は、メソポタミアを制覇し、川とその周り全部を支配します。ハンムラビ王といえば、ハンムラビ法典ですよね。「目には目を、歯には歯を」で有名です。

 

これは復讐法と呼ばれ、殺人を犯せば死刑、父親を殴れば腕を切られ、目をつぶせば、目を潰されました。身分によって程度は違ったようですが。

 

ハンムラビ法典がなかなか残虐なので、ハンムラビ王に良いイメージがないかもしれませんが、彼は安定した王朝運営をしました。

 

というのも、王は運河の管理を徹底したため、氾濫があっても大丈夫でしたし、農業もしっかりできたので、国民のお腹も満たされたわけですね。

 

繁栄してて、安定してる王朝があるらしいという噂が他の民族に伝わると、多民族の侵入や移住が始まります。

ヒッタイト人

バビロン第一王朝の北西あたりにで出来た武器を使うインド=ヨーロッパ語系の民族がいました。それがヒッタイト人です。

 

このあたりは小アジアと呼ばれる地域で、強力な国を作っていました。この時期鉄の武器は珍しく、それもうまく使いこなしたために強かったわけです。

 

次から次へと、強いのが出てきますね。漫画みたい。

 

やがて、メソポタミアにも遠征してくるようにもなり、ついにはバビロン第一王朝を滅ぼしてしまいます。また、次回お話しするエジプトにも攻め込みました。

 

カッシート人

ヒッタイト人はバビロン第一王朝を滅ぼしたものの、メソポタミアを支配するまではいきませんでした。

 

その代わりに、民族系統不明なカッシートという民族がティグリス川の東にあるザクロス山脈から侵入し、南メソポタミアを支配しました。

ミタンニ王国

バビロン第一王朝滅亡後、メソポタミアの北あたりにできた王国が、ミタンニ王国です。西の方にも領土を広げ、ヒッタイトに服属します。

アラム人

シリアに多くの都市国家を作ったのが、アラム人です。前1200年頃にシリアのあたりで活動したセム語族の民族です。

 

ポイントとしては、内陸の中継貿易、そしてアラム文字です。

 

ダマスクスを中心に、内陸の中継貿易をしました。中継貿易とは、他国から仕入れたものを加工して別の他国に売る、貿易形態の一つです。

 

アラム人は内陸にある都市と都市を繋いだ貿易をしたんですね。

 

また、アラム人が建設した都市であるダマスクスは、後にイスラーム帝国のウマイヤ朝の都となります。

 

文化としては、貿易で活躍したため、アラム人が使ったアラム語は、国際商業語になりました。

 

貿易をするのに、言葉は同じである方が取引はしやすいですよね。アラム文字は各地で使われるようになり、各国の公用語になったりします。

 

アラム人が活動していた地域は後にアッシリア帝国の一部になりますが、アッシリアでもアラム語が用いられ、その後の世界に大きく影響を及ぼしていきました。

 

しかも、アラム語は、ヘブライ文字、シリア文字、アラビア文字、ソグド文字、ウイグル文字、モンゴル文字、満州文字のもとにもなっているのです。

 

フェニキア人

海岸沿いにあるシドン・ティルスに都市国家をつくりました。東地中海岸で前13世紀ごろから活躍したセム語系民族です。

 

ポイントとしては、海上貿易、そしてフェニキア文字です。

 

地中海交通の中心だったギリシアのクレタ文明、ミケーネ文明が衰えたあと、フェニキア人は地中海方面の海上貿易を独占しました。

また、彼らは貿易のために各地に基地をつくり、資源を確保してそれを本国へ送るということをやっていました。

 

この基地というのは、後に「植民市」と呼ばれるものです。

 

特に有名なのは北アフリカのカルタゴ。カルタゴはポエニ戦争の原因になりますね。ちなみに「ポエニ」は、ラテン語でフェニキアという意味なんですよ。

 

 

また、フェニキア人は新バビロニアに支配されることになりますが、やがてアケメネス朝ペルシアに支配されます。

 

ギリシアと戦ったペルシア戦争では、フェニキア人の海の知識を活かし、サラミスの海戦では海軍として戦いました。

 

文化としては、フェニキア人は、カナーン人が使っていた表音文字から、フェニキア文字をつくります。そしてこれはなんと、ギリシア人に伝わりアルファベットのもとになるのです。

 

「a」はアルファ、「b」はベータですね。数学とかでよく使うやつ。。

 

じゃあaとbを連続して言ってみて下さい。

 

「アルファベータ」

「アルファベート」

「アルファベト」

気づきましたか?

 

アルファベット」!

 

こういうの知ると私は面白いなと思います。英語、アルファベットが紀元前の時代からあるってすごいなと感動するのです。

 

ヘブライ

ヘブライ人は他民族からの呼び名で、自らはイスラエル人と称し、この後お話しするバビロン捕囚後はユダヤ人と呼ばれます。

 

彼らはアラム人やフェニキア人より少し前に、パレスチナに住み始めます。牧畜生活をしていました。

 

彼らの中で、飢饉を避けるために近くのエジプトへ移住するグループがありました、しかし、新王国のファラオによる圧政のもと、ヘブライ人は奴隷としてコキ使われてしまうのです。

 

こき使われるヘブライ人を見て、これはあかんやろ!エジプトから逃れよう!と指導した人物がいます。

 

それが、モーセです。エジプトから脱出する際、海の前まで来て、モーセが杖を地面に突き刺すと、海が真っ二つに割れて道ができたという話が有名ですね。

 

パレスチナへ無事に脱出した後、彼らは王国を築き、ダヴィデ王、その次のソロモン王のもとで平和な時期が訪れます。

 

しかしそれも束の間、ソロモン王が亡くなった後、ソロモン王に不満を持った北側の民族が分離独立して、北のイスラエル王国、南のユダ王国に分裂してしまうのです。

 

イスラエル王国は次回お話しするアッシリアに、ユダ王国も新バビロニアに征服され、ユダ王国の国民は、新バビロニアの首都であるバビロンに連行され、移住を強制されます。

 

まあ囚われの身になってしまうのです。この、バビロンに連行された出来事をバビロン捕囚と言います。

アッシリア

北メソポタミアに起こったこの国は、アジア方面との中継貿易で栄えていました。ヒッタイトに服属したミタンニ王国に服属したりしていました。

 

初めは多数ある王国の一つだったわけですね。

 

ヒッタイトの持つ鉄器の製造技術を学び、それを使って、鉄製の武器、戦車を作り、だんだんと強くなっていきます。

 

しばらくして独立すると、戦車や騎兵隊を駆使した軍事力で、周りの国を圧倒し始めるのです。

アラム人、バビロンなどと次々と征服していき、そしてついにオリエントを統一するのです。

アッシリア王国の特徴として覚えていて欲しいのは、圧政です。アッシリア王は専制君主で、政治、軍事、宗教を全て管理し、逆らうものは王国の軍事力で押さえつけられました。

 

アッシリアの勢力はどんどん拡大し、エジプトを征服したり、前回お話ししたイスラエル王国を征服したりします。

 

 

領土が広くなってくると統治しきれないため、いくつかの州に分け、道路を整備して、各地にリーダーを配置しました。

 

リーダーを総督といい、このように統治しやすくした制度を駅伝制と呼びます。最盛期は、ニネヴェに都が置かれ、そこにはアッシュルバニパル王の豪勢な王宮があったりしました。各地の州の情報が集まる、世界最初の図書館もできます。

 

しかし、民族を抑えつけるための軍事力の維持などで、費用がかさみ、国民は重税を課されます。

メディア

 

アッシリアへ反抗する人々はますます多くなり、それを抑えるための軍事費がどんどんかさんだために、国力を消耗していきます。

 

最後はアッシュルバニパル王の死後、イラン高原ではメディア、エジプトはエジプト王朝が復活し、メディアとエジプトの連合軍にニネヴェを占領され、その結果アッシリア王国は滅びてしまうのです。

バビロニア

アッシリアの崩壊後、エジプトとメディアの間に新バビロニアができます

リディア

そして、小アジアにリディアができます。リディアでは、鋳造貨幣を使用しました。覚えておきましょう。

アケメネス

 

四王国時代に突入したあと、イラン人(ペルシア人)であるキュロス2世という人物が、メディアが支配していた地域に、アケメネス朝を起こします。キュロス2世はメディアを倒して、アケメネス朝を独立させます。

 

アケメネス朝の勢いは凄まじく、小アジアのリディアを倒し、新バビロニアを滅ぼして、ユダヤ人を解放し、カンビュセス2世の時には、エジプトをも滅ぼします。

 

三代目のダレイオス1世の時には、エーゲ海からインダス川までを支配していました。オリエント世界をアッシリア王国に代わって支配できたわけです。

 

アケメネス朝の特徴としては、アッシリアよりも寛容で、他民族の文化や伝統を尊重し、上手いこと政治を行ったことです。

 

アッシリアを見習った所も多くあり、いくつかの州に分け、各州にサトラップと呼ばれる知事を配置しました。また、その知事を監視する監察官を巡回させ、管理を徹底しました。

 

この監察官は「王の目」「王の耳」と呼ばれています。王の住居はペルセポリス、都はスサという場所で、帝国を隅々まで管理できるように、「王の道」と呼ばれる道路を作り、駅伝制を導入しました。

 

さらに、重税によって国が壊れたアッシリアを反面教師に、金貨、銀貨を発行して税制を整えました。貿易上手なフェニキア人を仲間にして、財政の基礎を固めたのです。

 

ダレイオス3世の時代、もっと領土を広げようと、ギリシアに目を向けたアケメネス朝は、ギリシアに遠征。ペルシア戦争をしますが、撃退され、支配に失敗します。

 

ギリシアが滅びるように介入を続けましたが、アレクサンドロス大王の東方遠征が始まると、イッソスの戦い、アルベラの戦いいずれも敗北。

 

最後には、ダレイオス3世が捕らえられ、殺害されて、大国、アケメネス朝は滅亡してしまいました。

アケメネス朝は様々な民族を統合したため、豊かな文化を築きます。建築や芸術で成果をあげ、楔形文字を音にしたペルシア文字を作ったりします。

 

また、キリスト教、ユダヤ教にも影響を与えたとされる、ゾロアスター教を信仰したことでも有名です。

 

ゾロアスター教はこの世は善の神アフラマズダと悪の神アーリマンの闘争であり、善の神の恩恵で楽園に行けるのだ、と説いたものです。

 

拝火教と呼ばれ、中国にも伝わって、中国では、祆教と呼ばれています。

 

 

覚え方

 

閉める赤ドア額を見たか、あーら不人気へぼ足縛り、いじめて開ける負けのドア

 

シュメール(閉める)

アッカド(赤)

アムル(ア)

ヒッタイト(額)

ミタンニ(見)

カッシート(か)

アラム(あーら)

フェニキア(不人気)

ヘブライ(へぼ)

アッシリア(足)

バビロニア(ば)

リディア(り)

エジプト(いじ)

メディア(めて)

アケメネス(開ける)

マケドニア(負けのドア)

まとめ

 

いかがでしたか?結構長くなっちゃいましたが、復習になっていれば幸いです。

それでは!

 

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