みなさんこんにちは。ケイトです。
今回は、アイユーブ朝について、そしてその同時代に存在したイスラームの王朝についての解説をしていきます!
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アイユーブ朝の都は?
ファーティマ朝の後にできた王朝をアイユーブ朝と言います。時期的には12世紀の後半です。アイユーブ朝の都の件ですが、この地域にできる王朝の首都を覚えるのは楽ちんです。
なぜなら、ずっとカイロだからです。それではアイユーブ朝について詳しくみていきます。
アイユーブ朝
アイユーブ朝は、ファーティマ朝が滅びる前に起こります。建国者は、ファーティマ朝の宰相(大臣みたいなもの)であった、サラディン。彼は生粋のスンナ派でした。
ファーティマ朝は、シーア派でしたよね。
シーア派カリフが支配するファーティマ朝が嫌だった彼はマムルークを上手く使って力をつけ、アイユーブ朝を樹立します。
その後、ファーティマ朝カリフが死去し、サラディンはファーティマ朝から独立。
ファーティマ朝カリフは既に力をなくしていたため、すんなり独立できました。そして、ファーティマ朝にとって変わるようにアイユーブ朝がカイロを首都に支配するようになるのです。
スンナ派信仰になったという点がファーティマ朝との大きな違いですね。
名スルタン、サラディン
サラディンはカリフとは名乗らず、支配者という意味であるスルタンを名乗りました。
スルタンという言葉はブワイフ朝のところでお話ししましたね。
彼はアッバース朝のカリフを宗教的な権威であると認めていたので、あくまでも政治的な権力者にとどまったのです。
彼は名スルタンとして結構有名なんですよ。
十字軍と対峙した事が一番に挙げられます。ちょうどこの頃は十字軍の時期でした。第一回十字軍で、キリスト教世界がイェルサレルムを奪還し、イェルサレルム王国を建てたことは覚えていますか?
しかし、その後イスラームの勢力はイェルサレルムを取り戻します。その取り戻した人々のリーダーがサラディンなんです。
また、第三回十字軍では、イギリス、フランス、ドイツの王とその軍が攻めてきますが、サラディンは果敢に戦いました。
まあ、フランス王は途中で帰り、ドイツ王は事故死したので、着いたのはイギリスのリチャードだけなのですが…。
結局両者は疲れ果て、サラディンがイェルサレルムを所有してもいいけど、キリスト教徒の巡礼を許可してね和平を結びました。
イスラーム側に有利ですね。サラディンの交渉力です。
この戦いによってサラディンの名はヨーロッパに伝わります。十字軍という精鋭部隊と互角に戦うってなかなかスゴイことなんです。
また、彼の有名な話では、十字軍はイスラームの兵士の捕虜を平気で殺しましたが、サラディンは十字軍の兵士の捕虜をそれなりの待遇を施したそうです。
また、さらわれてしまった女の子の母親に、娘を探してくれと頼まれた時も、泣いて了承し、奴隷市場からその女の子を見つけてきたそうな。
すごく良い人なんですよね。
ちなみに彼の名前は、サラーフ=アッディーンなのですが、ヨーロッパに伝わる時に訛ってサラディンになります。
同時代の王朝まとめ
アイユーブ朝のお話はこの辺にしまして、同時代にあったイスラームの王朝をさらっとまとめていきたいと思います!
ムワッヒド朝
ムラービト朝とムワッヒド朝の解説の時に詳しくお話ししましたね。
ホラズム朝
教科書でもあまり出てきませんが、アッバース朝、セルジューク朝が滅びた後に、中央アジアとイラン、イラクを支配したイラン系の王朝です。
そういうのがあったんだな〜程度でおさえておきましょう。
ゴール朝
インドあたりのガズナ朝の後にできた王朝です。正確にいえば、ガズナ朝から独立し、ガズナ朝よりも東であるインドの北あたりを支配します。
まとめ
いかがでしたか?
アイユーブ朝についてと同時代王朝について説明しました。教科書は読んでて面白いのですが、どうしても同時代史が疎かになりがちです。
ぜひイスラーム世界の整理に役立てて下さいね。
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それではまた会いましょう!
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