どうも!ケイトです。
今回は南アフリカ戦争について解説していきます。
Contents
原因
この戦争は、1899~1902年までに起こった、イギリスvsオランダの植民地取り合い戦争です。
南アフリカにはイギリス人より先にオランダ系の白人の子孫がいました。彼らはブール人と呼ばれます。また、彼らが作った国は、オレンジ自由国、トランスヴァール共和国の2つです。
その南には、イギリスからオランダから奪ったケープ植民地があります。
しかし、オレンジ自由国、トランスヴァール共和国でダイアモンド鉱が発見され、それを知ったイギリスは強欲さを発揮してきます。
イギリスはケープ植民地と併せて、イギリス領にしようと、とりあえずトランスヴァール共和国を併合します。
当然、トランスヴァールのブール人がぶち切れます。激しい抵抗が激化していき、戦争がスタートしていくわけです。
結果
すぐに終わるだろうとイギリスは鷹をくくっていましたが、ブール人がまあ手強い。戦争は予想外に長引きました。
粘りに粘ったブール人でしたが、多くの死者を出し、イギリスに併合されてしまいました。オレンジ自由国とトランスヴァール自由国は地図上から消滅します。
まとめると、この戦争は、イギリスとオランダの植民地取り合い戦争であり、帝国主義戦争です。
注意して欲しいのが、この戦争でブール人は被害者として描かれますが、ブール人だって侵略者に変わりありません。
戦争の講和会議で、ブール人は「アフリカ人には選挙権を与えないこと」を条件の一つとして主張し、「アフリカ人の選挙権付与の問題は政府ができた後に決定する」と決定されました。
「ボーア人がアフリカ人の政治的進出を恐れていたこと」が読み取れます。
そのことを知らないと、白人黒人が共同で統治する南アフリカ連邦とその後継である南アフリカ共和国で、アパルトヘイト政策がとられていくことの理解ができません。
アルパトヘイトは黒人に対する差別と抑圧の典型ですから。
まとめ
いかがでしたか?
南アフリカ戦争、ブール戦争についての戦争でした。このあたりの世界史を読むと、やっぱ身勝手だな~と思ってしまいますね。
過去から学び、繰り返さないようにしなければ、、、
それでは!
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