【今更聞けない】良い大学って何?偏差値高い大学に行く意味・必要ってあんの?

どうも!ケイトです。

 

なぜ大学に行かなければならないんだろう?

良い大学に行く意味は?

学校の勉強を必死にやらされる理由は?

なぜ大人達はその理由をずっと隠してる?

 

みたいなことを考えたことがありますか?

 

これは考え始めるとドツボにハマり、勉強が手につかなくなります。実際、私はこれをこじらせて、勉強が手につかなくなった時期があり、それのせいもあって、第一志望に落ちました。

 

ってことで、「大学論・勉強論」というカテゴリーで私の私見を共有していこうかと思います。

 

この記事では、みんなこぞって「良い大学」を目指すけれども、「良い大学に行く意味ってあるんだろうか?」という疑問を検討していこうかと思います。

 

Contents

そもそも良い大学とは?

良い大学ってそもそも何を基準に「良い」とするの?

 

これは人によって定義が違うでしょうが、ここでの定義は「偏差値が高い大学、知名度の高い大学」としましょう。

 

東大・京大・早慶等が「良い大学」というのは、異論がないかと思います。

 

でもなんで?という疑問にほとんどの大人が答えられない

 

ただ、「良い大学に行きなさい」と言う学校の先生や親に、「じゃあなんで?」と聞いたときに、恐らく答えに困るのではないかと思います

 

苦し紛れに、「良い企業に就職するため」「つぶしがきくから」「大学くらいはでとけ」とか、そういう答えが多いでしょう。

 

上記の答えも一理あります。偏差値の高い大学が履歴書に書かれていれば、エントリーシートは通りやすいし、子どもの50%が大学に進学する時代ですから、大学に行くことというのは、当たり前になりつつあります。

 

だがしかし、納得できる答えを持っている先生は皆無に等しいです。

 

よく考えれば、

勉強している意味も分からず

良い大学に入る意味も分からず

学校で先生の話を聞きながら、ノートを写して、

家に帰ったら、復習して、

受験まであと○○日!と毎日繰り返している状態って、クレイジーですよね。洗脳されてんのかと。

 

この世の中いつのまにか、受験勉強をするのが当たり前になっていて、ほとんどの人が思考停止状態です。逆にそれによって勉強に集中できたりするという現象が起きるんですが、、、

 

 

これからの時代、自分で考えて行動できる人が豊かになれる時代です。大企業に入った人が安泰の時代は既に終わっています。

 

 

だからまずは根本的な疑問である「良い大学に入る意味」を考えていきます。

 

良い大学に入る意味とは?

 

良い大学に入るメリット、意味、必要性は以下の通りです

 

・意識高い人が周りにいると、自分も成長しやすい

・企業を選びやすくなる

・そもそも「合格」することが良い経験になる

 

ひとつずつ行きましょう

 

意識の高い友達に恵まれる

良い大学において、

意識の高い人が周りにいる環境が生まれやすいというのが、大きいです。

 

人間は良くも悪くも、環境に影響される生き物です。

「朱に交われば赤くなる」

「門前の小僧習わぬ経を読む」

など、環境に影響されるということわざもいくつかありますよね。

 

公立中学校の進学実績が地域によって違うのはなぜでしょうか。先生方の質が違うのでしょうか。そうではないですよね。

 

意識の高い生徒がいるかどうかです。

 

 

これは高校でも同じですよね。偏差値70の高校と偏差値35の高校の先生達の質はそんなに変わりません。じゃあ進学実績になぜ差が生まれるのか。

 

これも偏差値70の高校の方が意識の高い生徒が多いからです。

 

そしてこれは大学においても同じです。

 

良い大学ほど、意識の高い友達に恵まれる可能性が高いのです。

 

偉人・天才といわれる人たちって友人同士ってことが多いんです。松下村塾、信長・秀吉・家康の関係、トキワ荘とか。意識レベルの高い人達は集まる傾向があります。金持ちの友達は金持ちです。

 

じゃあ、大学で意識の高い友達に恵まれるとどうなるのか。

 

 

まず意識の高い友達というのは、例えば、

「何らかの高い目標を持っている」
「挑戦を続けている」
「すごい実績を持っている」
「社会への意識をしっかり持っている」
「毎日コツコツ物事を続けている」

というような人です。

 

私は京大にいますが、

「英語ペラペラな人」

「西園寺奨学生」

「合唱の知識半端ない人」

「純ジャパだけど外国人の友達めっちゃ多い人」

「海外大学院目指している人」

「検察目指している人」

「弁護士目指している人」(無数にいる)

「医学部6回生で頭良すぎな人」

という感じで、なかなか意識の高い友達・知人が周りにいます。

 

周りの意識が高いと刺激を受けて、自分も自然と意識が高くなります。意識が高くなると、そういう友達がより多くなります。すごい奴に感化されることで好循環が生まれるのです。

 

意識が高ければ、将来的に成功する確率も高くなります。

学歴フィルターにはひっかかりづらくなる

 

これは、先ほども触れましたが、就職についてです。企業への応募って死ぬほど来ます。一人一人の人格や実力を見て評価してくれるでしょうか?

 

自分が企業をつくって、新人採用しようと思ったらどうですか?

 

無理です。

 

だから、企業は便利な物差しを使います。それが「学歴」です。学歴はその人がどれだけ頑張れるかを示せる唯一の明確なステータスです。

 

「学歴社会、学歴社会」っていうけど、別にそれでいいと思います。男性優遇とか、セクシュアルマイノリティ弾くとかよりかは、断然公平な基準です。頑張った人は優遇されればいいです。

 

(ただ、頑張れるのに恵まれない人はいます。これは国のせいです。せっかく民主主義の国なので、これはみんなで声を上げましょう。「国の借金」なんて嘘で、国はお金を過度なインフレにならない限り、発行できるんです。公費に使われているのは、私達の税金ではありません。「教育費をもっと使って、経済的・社会的弱者を助けろ」「子どもの教育に力を入れろ」ということを国に求めましょう。)

 

良い大学に行っておけば、必然的に学歴フィルターにはひっかかりづらくなります。

 

いわゆるFラン大学では、企業説明会すらフィルターに引っかかると言われていますので、やはり偏差値の高い大学というのは、メリットがありすぎます。

 

良い大学に受かったという経験が自信につながる

 

勉強を毎日ガツガツやって、12月にラストスパートをかけ、第一志望に合格するというのは、その後のかなりの自信につながり、成功体験の一つになります。

 

一つのことに対して、1~3年かけるという経験はなかなか体験できません。その点において、受験勉強は良いイベントです。

 

また、一つのことで成功すると、どんなジャンルでも上手くいく人は結構多いです。その一つとして、受験の成功があります。

 

「私はやればできる!」という自信がつくのが大きいでしょう。良い大学に入ろうとすればするほど、その労力も増え、成功したときの自信が半端なくつきます。

 

まとめ

 

いかがでしたか?良い大学に行く意味を解説しました。

 

まだまだ疑問はあるかと思いますので、またこういうお話をどんどんしていきます。それではまた。

 

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