どうも!ケイトです。
今回は日独伊三国同盟についてなぜ結ばれたのかを中心に解説していきます!
三国防共協定
まず日独伊三国同盟の前身である三国防共協定の話からしなければなりません。
もともとこれは日本とナチス=ドイツのコミンテルンに対する防衛を目的とした協定でした。
コミンテルンというのは、レーニンが呼びかけた共産主義者の集まりでしたね。
簡単に言ってしまえば、スパイの防止、情報の保護をやっていくための協定でした。仮想敵はソ連であり、共産主義が最大の敵でした。
この協定によって日本とロシアの仲が一気に悪くなります。また、ドイツとイタリアは、ベルリン=ローマ枢軸の関係にありました。協力関係にあったのです。
日本もその協力関係に入り、日独の防共協定にムッソリーニ率いるイタリアが参入し、三国防共協定になったわけです。
同年、イタリアは国連を脱退しました。
日独伊三国同盟
三国防共協定が発展し、日独伊三国同盟になります。この同盟は、反共産主義の防共協定ではなく、れっきとした軍事同盟です。
第二次世界大戦の勃発に対応してさらに結束を強くしたいというドイツ、中国進出後に深まったアメリカとの対立に備えたい日本の利害が一致したのです。
この2国にイタリアが加わり、軍事同盟となりました。
この日独伊三国同盟では、仮想敵はアメリカです。同盟の内容にはアメリカに攻撃されたときは三国は協力するということが書かれています。
日本が東南アジアに進出すれば、必ずアメリカやイギリスをぶつかってしまうからです。
また、この三国同盟をみたアメリカ合衆国のフランクリン=ローズヴェルト大統領は危機感を強めていました。
この頃は既に、第二次世界大戦が始まっており、フランスがドイツに降伏し、イギリスが孤立。これは言うまでもなく、ピンチでした。
アメリカはずっと中立の立場でしたが、武器貸与法でイギリスやソ連。中国に武器や軍需品を送るなど、「反ファシズム」「反日独伊」の体勢を示していました。
これはもう連合国側で参戦しているといってもいいですね。ソ連に対しても武器貸与したのは大きなことです。
また、フランクリン=ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルは大西洋上で会談して大西洋憲章を発表します。これは、「民主主義をファシズムから守るために戦争するぞ!」という内容でした。完全に日独伊はアウェーです。
ただ、まだアメリカが武力を使っていなかったことで、戦争は互角でしたし、ドイツの軍事力は半端じゃありませんでした。
しかし、ここでとんでもないミスをする国があります。それが、日本です。日本は愚かにも、アメリカを奇襲します。真珠湾攻撃ですね。
これによって世界の重要大国であるアメリカが連合国側に正式につきます。連合国側はこの時点で勝利を確信したそうです。
ここからアメリカ対日本の太平洋戦争が始まっていうのですね。
まとめ
いかがでしたか?
日独伊三国同盟について詳しく解説しました。第二次世界大戦についてもしっかり勉強しましょう!それでは!
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