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第二次世界大戦を分かりやすく!会談の覚え方、原因から結果、影響まで!

どうも!ケイトです。

 

第二次世界大戦って説明すべき事が多くてこんがらがってきますよね。

 

今回は、第二次世界大戦を分かりやすく解説し、あなたに完全にマスターしてもらおうと思います!

 

ヴェルサイユ体制崩壊

ナチ党

世界恐慌は世界各地に影響をもたらしましたが、中でも被害が大きかったのは「ドイツ」でした。

 

社会不安でいっぱいになったドイツでは、ナチ党という反議会勢力が台頭してきます。

 

ナチ党とは、ヒトラーというリーダーシップあふれるカリスマを指導者とした政党で、正式名称は「国民国家社会主義ドイツ労働者党」といいます。

 

ヒトラーは、元々画家でしたが、勉強が好きな青年でした。しかし、色々な本を読んでいる内にある考えが浮んできます。

 

我々アーリヤ人は優れている。ドイツが負けたのはユダヤ人がいたからで、ユダヤ人はその邪魔でしかない。彼らを消して、アーリヤ人の大帝国を作り上げよう!

 

WWⅠで従軍していたヒトラーは、ドイツの敗戦はロシア人、共産主義、ユダヤ人の陰謀だと思い込んだのです。この歪んでイカレた考えが、後に大惨事を引き起こしていくわけです。

 

さて、ナチ党の台頭で国会は機能麻痺に陥ります。世界恐慌の被害がさらに大きくなって、失業者が増えると、「あの新しい政党に賭けてみよう」という農民や都市の労働者が増え始めました。

 

ヒトラーは演説が激ウマでした。鏡を見て、身振り手振りを練習していたという話は有名ですね。そのかいあって、彼の大衆宣伝に心を動かされる人が増えていきました。

 

やがてナチ党は第一党となり、ヒトラーは首相となります。さらに、国会議事堂を放火して、共産党に濡れ衣を着せて、ナチ党以外の政党を解散させます。

 

そして、全権委任法という法律をつくり、政府が立法できるようにしました。

 

もう、やりたい放題

 

こうして、ナチ党は一党独裁を実現します。

 

 

基本的人権や市民的自由は統制されましたが、当時のドイツ人は「あの頃は良かった」と話す人も多いようですね。

 

なぜなら、アウトバーンという高速道路の建設や、軍需工業の拡張、レジャー施設を建てたり、福祉事業も整備、さらにラジオが普及したことで、失業者も減り、生活が豊かになったためです。

 

ただ、大統領になったヒトラーは、アーリヤ人以外を劣遇します。

 

ゲシュタポ(秘密警察)、SS(親衛隊)、SA(突撃隊)という部隊で監視をし、ユダヤ人や、ユダヤ人に協力した人々を、強制収容所にぶち込みました。

 

ヴェルサイユ体制崩壊

 

国内を完全に支配したナチスは、国連から脱退し、条約などの制約から抜け出します。

 

ここから、ヒトラーの戦略が始まっていきます。WWⅠ、世界恐慌を経験し、周りの国はみんな戦争なんかしたくないわけです。

 

それを知りながらドイツは、国として自由を得るために、要求レベルを1つずつ上げていきます。

 

ヒトラーのお願い

1933    賠償破棄   お金の約束

1935    再軍備    軍事の約束

1936    ライラント進駐  初の軍事行動

1938    オーストリア統合  ドイツ系の人が多い

1938    ズデーテン地方統合  ドイツ系の人が多い 最後のお願い

 

1939    チェコスロバキア統合  違う民族

1939    ポーランド回廊統合  違う民族

WWⅡへ

 

小さなお願いをした後で、大きなお願いをすると、引き受けてくれやすくなるという心理学と同じですよね。

 

ヒトラーはまず、あの高額な賠償金を破棄し、その2年後に軍をつくりました。もちろん周りの国は猛反対です。

 

でもみんな国内も大変なので揉めたくないんです。そこで、イギリスやフランスを中心に、ドイツに色々認めていきます。

 

機嫌を損ねないように、色々認めていく政策を宥和政策といいます。

 

周りの国に軍の所有を認めてもらったヒトラーは次のお願いをします。ラインラントというドイツ国内の地域に進駐するのです。

 

ラインラントは、ロカルノ条約で非武装化されていた地域です。この条約を結んで、ドイツは国連に入ったのでしたよね。

 

しかし、そのロカルノ条約を破棄して、ラインラントに軍をすすめたわけです。「ドイツ国内だからいいでしょ?」と。

 

周りの国は、「まあしょうがないか、、、」という感じで、3つ目のお願いも聞き入れてしまったわけです。

 

今度は、「ドイツ人がいるんだからいいでしょ?」と言って、オーストリアを併合します。さらに、ドイツ人が多く住んでいる、チェコスロバキアのズデーテン地方を統合しようとします。

 

そこでイギリスのジョゼフ・チェンバレンが「待て待て」とストップをかけ、話し合いをしようと提案します。こうして、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの4国が集まるミュンヘン会議が開かれました。

 

チェコスロバキアの話なのに、チェコスロバキアがいないというね。

 

結局、宥和政策をとり、ドイツのズデーテン地方統合を認めてしまいます。「ドイツ人の統合はこれで最後だから!最後のお願いだから!」ということでした。

 

「本当に最後ね?」と言って、認めてしまったわけです。

 

でも、これで最後ねと一枚ポテチを食べて、それでやめれたことってありますか?

 

ないですね。

 

味をしめたヒトラーは、一線を越えます。国外で違う民族である、チェコスロバキアを統合しようとしたのです。

 

もうイギリス、フランスは大バッシングです。「どれだけ好きにさせるんや!」と。

 

ドイツの勢いは止まらず、ポーランドにも手をだそうととします。

 

イギリス、フランスも「もうだめだ。我慢できない」となり、ポーランドがドイツの要求を拒否ったタイミングで、軍事交渉にでます。

 

ソ連も参加しましたが、そこでなんと独ソ不可侵条約を結んで周りを驚かせました。条約締結の背景としては、ソ連が西欧諸国のドイツへの対応を疑っていたことでした。

 

めっちゃ甘やかすやん。信用ならんな。ドイツと戦うにしても時間欲しいから、条約結んどくか」という訳でした。

 

ドイツは余計調子にのり、1939年9月1日、ポーランドに侵攻しました。イギリス、フランスはドイツに宣戦し、第二次世界大戦が始まるわけです。

 

第二次世界大戦

第二次世界大戦

 

ポーランドはあっさりドイツに負け、ソ連はフィンランドに宣戦して、バルト三国やルーマニアからベッサラビアも割譲させます。

 

数ヶ月間、西部戦線はなぜか平穏でしたが、1940年になってドイツが動き出します。デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギーに次々の侵攻していくのです。

 

さらにはフランスに侵攻して、パリを占領してしまいます。ドイツが有利であることを見て取ったイタリアは、ドイツ側について参戦しました。

 

パリが占領されたフランスは、ドイツに降伏します。ペタンという人物がヴィシーで政府を作りますが、ドイツの操り人形でした。

 

ヒトラーの演説に歓喜する始末。今はフランスの消したい過去のようです。

 

ただ、ド=ゴールという人物は仲間を連れてロンドンへ逃げ、自由フランス政府を組織します。

 

一方、イギリスではチャーチルが首相となり、ドイツ軍がイギリスに上陸するのを阻止します。また、ドイツはバルカン半島に進出しますが、バルカン半島に子分が多いソ連は眉をひそめます。

 

ソ連はドイツとケンカになってもいいように、攻撃してきそうな日本と日ソ中立条約を結んで戦いに備えました。

 

独ソ戦

 

予想でどおり、ドイツは独ソ不可侵条約を無視して、ソ連を奇襲します。ソ連はなんとか押し返しましたが、「ドイツと戦うのキツい!」と思ってしまいました。

 

そこで、今まで不信感を抱いてきたイギリスと同盟し、アメリカとも協調関係を結んで、ドイツに備えることにします。

 

コミンテルンもこのタイミングで解散します。

コミンテルン、コミンフォルム、コメコン の違いとは?!

 

 

太平洋戦争

 

新しく土地をゲットして、日中戦争の消耗を回復させたい日本、資源や人員が不足してきて苦しくなってきたドイツ、イタリアが日独伊三国同盟を結びます。

日独伊三国同盟はなぜ結ばれた?わかりやすく解説!

一方、アメリカは中立の立場でしたが、武器貸与法でイギリスやソ連に、武器や軍需品をおくって、反ファシズムの姿勢を見せていました。

 

日本のファシズム的な行動が現れてくると、アメリカは石油供給を停止し、牽制しました。

 

そして、1941年12月8日、日本はおろかにも真珠湾を攻撃し、大国アメリカを敵に回します。そして、アメリカ・イギリスに宣戦し、太平洋戦争がスタートするのです。

 

この時点で、アメリカ・イギリスは自分らが勝った後、どんな世界にしていくのかを話し合っていたといいます。この2国を敵に回した時点で、もう既に日本は負けているのです。

 

開戦後、半年でマレー半島、香港、シンガポール、インドネシア、フィリピン、ソロモン諸島、ビルマを占領して、「大東亜共栄圏」を唱えます。大日本帝国的な感じですかね。

 

傀儡政権として彼らをあやつり、日本に協力させるわけです。従わない者には厳しく処罰しました。

 

また、国内でも言論、報道の自由が厳しく制限され、全体主義がはかられます。このコロナ渦でもなんだか全体主義な感じがあるのは、気のせいでしょうか。

 

はい、話がそれました。

 

多くを味方につけたと思った日本でしたが、日本の弱点は工業の脆弱性でした。そのせいで、武器や物資がつくれず、長期戦には向きませんでした。

 

1942年のミッドウェー海戦でボロ負けすると、一気に劣勢になります。

 

 

結果

 

イタリア降伏

 

枢軸国と連合国の戦いという構造となり、この戦いは文字通り世界大戦となりました。

 

イタリア国内では、ムッソリーニに対する反対運動が強くなり、ムッソリーニは国王を解任されます。これまで、国を動かしてきたファシスト党は解散するのです。

 

1943年、連合軍がイタリアに上陸すると、イタリア新政府は無条件降伏しました。

 

ドイツ降伏

 

1941年8月、アメリカのローズヴェルトとイギリスのチャーチルが話し合い、大西洋憲章を出して、自分らが勝った後の世界の構想を発表しました。

 

もう余裕ですね。

 

さらに、ローズヴェルト、チャーチル、蒋介石の三人は、日本をどうするか話し合い、カイロ宣言を出しました。

 

また、ローズヴェルト、チャーチル、スターリンのテヘラン会談では、ドイツをどう倒すかが話し合われ、それに基づいて、ノルマンディー上陸作戦を実行しました。

 

1945年2月には、ローズヴェルト、チャーチル、スターリンがヤルタ会談で、ドイツの処理と日本の戦い方を決め、ヤルタ協定を結びました。

 

ドイツは連合軍からの攻撃、物資や人員の不足、街は荒廃しボロボロな状態でした。ヒトラーは自殺し、ベルリンは占領され、ついにドイツは無条件降伏をします。

 

日本降伏

 

残るは日本です。

 

日本は不利な状態にも関わらず、負けを認めようとしませんでした。

 

トルーマン、チャーチル、スターリンの三人はポツダムで会談し、ポツダム宣言を出しました。ポツダム宣言の内容としては、

 

今降伏すれば、痛い目には遭わないよ。降伏した後は、そのクソみたいな軍国体制を解体して、日本国民に自由と平和を与えるからな。

 

でした。

 

正常な政府であれば、受け入れるわけですが、日本政府は今も昔もイカレています。

 

日本政府はポツダム宣言を無視したのです。

 

アメリカは「言うこと聞かないならもうしょうがねえ」ということで、原子爆弾を2つ落とします。原子爆弾の被害の責任はまじで日本にあると私は思います。

 

 

こうして、懲りた日本は1945年8月14日にポツダム宣言を受け入れて降伏し、15日に終戦するのです。

会談の覚え方

語呂合わせ
大きな傘を買ってやる、ポツポツ

 

大西洋憲章(大きな)

カサブランカ(傘)

カイロ(かっ)

テヘラン(て)

ヤルタ(やる)

ポツダム(ポツポツ)

 

その後

国際連合

日本の降伏前に、既にサンフランシスコ会議が開かれ、国際連合が発足していました。

 

国際連盟とは違い、ニューヨークに本部、全加盟国が平等に参加できる総会、拒否権を持つ5国が安全保障理事会を開き、決定力を強めました。

戦後処理

ドイツの降伏後、アメリカ、イギリス、ソ連、フランスは分割してドイツを占領しました。傀儡政権だったフランスがしれっと参加しているのはコメディです。

 

また、ニュルンベルクに国際軍事裁判を設置し、戦争犯罪人を裁きました。

 

日本でも、極東国際軍事裁判所が置かれ、戦争犯罪人が裁かれました。日本では、軍隊の解散、女性の解放、農地改革、財閥解体がGHQによって行われます。

 

アメリカに占領されてるのに、当時の日本国民は「自由を得た」と感じ、同時に「外国によってそれが持たされるのはなんて恥ずかしいことなんだ」と思ったそうです。

 

さらには、日本国憲法が制定され、日本は民主的な国へと変貌をとげていきました。

 

イタリアは、王政がくずれ共和制となりました。また、大戦中の抵抗運動で、大きな役割を担った共産党に人気がでたようです。

 

 

まとめ

 

いかがでしたか?すごいボリュームでしたね。

 

一気に覚えるのは難しいですが、少しずつ理解を深めて、論述できるレベルまでマスターしていきましょう。

 

それではまた!

 

 

 

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