【高校世界史】ベトナム戦争の原因から勝敗までを分かりやすく解説!

 

どうも!ケイトです。

 

近現代史ってめっちゃおさえにくいですよね。でも、1つずつ丁寧勉強していくことで、マスターできるんです。今回はベトナム戦争についてやっていきます

 

Contents

ベトナム戦争とは?

ベトナム戦争とは、1965年~1976年にかけて起こったアメリカvsベトナムの戦争です。原因としては、ベトナムの共産化を防ごうとアメリカが躍起になったことでした。

 

ベトナム戦争が分かりにくくなるのは、フランスが出てきたり、勝手に資本主義の国をベトナム内につくってしまったり、その資本主義の国の中に、共産主義派(ベトナム派)がいたりするからです。

 

戦争は長期化し、アメリカの非人道的なベトナムへの攻撃は、国際的に非難されていきます。

 

ベトナム戦争の原因とは?

ベトナム戦争の原因を詳しく見ていきましょう。大きくわけて3ステップです。日本の支配からのベトナムの独立、フランスとの戦争、アメリカとの対立です。

 

ではいきましょう

支配から脱して、ベトナム民主共和国に

ベトナムは独立前、フランスに支配される「フランス領インドシナ」という場所でした。時期的にはWWⅡの前くらいまで。

 

ベトナムの人々はフランスの支配に対抗するために、戦争中にホーチミンという人物がリーダーシップをとって、ベトナム青年革命同志会、それを元にベトナム共産党をつくります。

 

しかし、WWⅡ中に日本軍が東南アジアに侵略してきて、日本はこの地域(フランス領インドシナ)を支配しようとします。

 

フランスはドイツに負けて、実質降伏していたので、フランスの影響力は弱まっており、日本が支配を始めるのです。

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日本の占領下で、ホーチミンは「ベトミン」を作ります。あとでてくる「ベトコン」と区別して下さいね。

 

「ベトミン」はベトナム独立同盟会のことです。もちろん共産主義です。WWⅡが終わって、日本が敗北し、支配が終わると、ベトナムはベトミンが中心に動き、その結果、「ベトナム民主共和国」として独立することができました。

 

「インドシナ戦争」フランスvsベトナム

 

しかしこれが気にくわない人達がいます。そう、フランスですね。フランスは、また支配をして、大もうけしたいと目論んでいました。

 

 

フランスは、ベトナム民主共和国の首都ハノイを押さえ、じわじわ支配しようとしました。しかし、ベトナム民主共和国の人々も負けません。

 

突如、集中的な攻撃をするゲリラ攻撃をして、フランスに対抗します。この対抗のおかげで、ベトナムはフランスが全面的に支配することをなんとか防いでいました。

 

フランス側も計画がうまくいかず、もどかしく思っていました。

 

ベトナムはもう独立してしまって、もう一度支配をすることは中々難しいし、大きな戦争後だし、植民地をつくること事態、もう許されなくなっているので、国際的に非難されるでしょう。

 

それでどうしたか。

 

フランスは、はなんと、バオダイという人物を王にして、勝手にベトナム国という国をベトナム民主共和国の南側につくってしまいます。

 

えええええええええええええええ

 

って感じですね。アメリカもこの行動にドン引きします。植民地つくるのと変わらんやんけ、と。

 

ただ、資本主義の国アメリカも、共産主義国を減らしたいと思っており、中国が共産主義をとっていることに危機感を覚えていました。

 

大国である中国の影響によって、周囲の国が共産主義を取り始める可能性も否定できないのです。こうして、アメリカは、フランス側を全面的に支援することにします。

 

フランスとベトナムの攻防はやがて戦争に発展していきます。これは「ベトナム戦争」ではなく、「インドシナ戦争」と呼ばれます。ここの違い、ぜひ覚えておいて下さい。

 

で、結果なんですが、「まあ、フランスが勝つんかな、、、」と思いきや、ディエンビエンフーの戦いでベトナムが圧勝し、ヘトヘトになったフランスはジュネーヴ休戦協定を結び、実質ベトナム勝利で、戦争が一旦終わります。

 

北緯17度線が境界となり、2年後に統一選挙をする約束をすることになります。

 

アメリカが「ベトナム共和国」をつくってしまう

 

しかしまたまた、ここで気にくわない人達がいます。

 

アメリカです。

 

彼らは、フランスとベトナムのジュネーヴ休戦協定の会議になぜか出席していましたが、「共産主義なんぞ、わしゃ許さんぞ!」(頑固なおじいちゃん風)と言って休戦協定の調印を拒否してしまうのです。

 

そして、「共産主義はクソだよな同盟」である、東南アジア条約機構、別名SEATO(シアトー)をイギリスやオーストリア、タイ、パキスタンなどと組み、徹底的に共産主義をつぶそうとします。

 

さらに、ゴ=ディン=エムという人物をリーダーに立てて、ベトナム共和国という国を南側に勝手につくります。やってることがフランスと同じです。

 

アメリカがここまで躍起になっていたのは、ソ連と冷戦中ということもありました。どうしてでも資本主義の仲間を増やし、ソ連の力が強まらないように共産主義をつぶす必要があったのです。

 

冷戦についてはこちらの記事でも解説しています。

【3分】ベルリン封鎖を簡単に!ベルリンの壁との違いとは?

こうやって、ベトナム戦争が起こる状況が出来ていったわけです。

 

戦争勃発!

ベトコン・北爆・戦争開始!

 

アメリカがバックにいる南ベトナムでは、ゴ=ディン=エムが独裁政治を行い、国民を圧迫していました。これにうんざりだった南ベトナムの人達は「自由になろう!」と決意します。

 

そこでできたのが、南ベトナム解放民族戦線、別名ベトコンでした。

 

ベトコンは、北のベトナム、つまり共産主義の本物のベトナムの人達と協力して、ゲリラ戦を開始します。ゲリラ戦法とは、奇襲で相手の不意をついて攻撃する戦法ですね。

 

これに対してアメリカのケネディも軍事行動に出ます。ゴ=ディン=エム政権が軍のクーデターで倒されると、ますます戦いが激しくなりました。

 

1965年、アメリカ合衆国のジョンソン大統領が北ベトナムを爆撃(北爆)し、戦況はますます悪化していきました。

 

一般的にこの北爆のタイミングから「ベトナム戦争」が始まったとされています。

国内外から大批判

ベトナムは、ソ連、中国の支援を受け、爆撃に備えてジャングルに隠れたことでアメリカを攪乱し持ちこたえることができました。

 

当時テレビが普及してきた時代。アメリカがベトナムにナパーム弾、高速ヘリで枯葉剤を投下し、平気で人殺ししている映像がお茶の間に流れました。

 

アメリカは国内からも国外からも非人道的だと大批判を食らいました。

 

そのためアメリカは爆フェ期を辞め、北ベトナムとしかたなしに和平交渉をすることになりました。

 

ベトナム社会主義共和国成立!

 

アメリカのニクソン大統領は、ベトナム和平協定を結び、南ベトナムの人達に戦争を任せて、アメリカ軍を撤退させます。(ニクソン大統領はウォーターゲート事件での不祥事ですぐ辞任しました。)

 

北ベトナムとベトコンは、サイゴンという場所を占領し、彼らは晴れて「ベトナム社会主義共和国」を成立させることができたのです。

 

まとめ

 

いかがでしたか?

 

アメリカとフランスが勝手なことをしたおかげで、ベトナムが大変なことになりましたね。しっかり復習して流れをおさえていきましょう。

 

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それではまた!

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