どうも!ケイトです。
今回は、プロレタリア文化大革命を分かりやすく解説します。
第二次世界大戦後の中国のお話がメインになってきます。混乱しやすい部分なので、丁寧にいきますね!
それでは、いきましょう!
Contents
プロレタリア文化大革命を簡単に言うと?
プロレタリア文化大革命とは簡単にいうと、中国共産党内部でのもめごとをきっかけに、共産党のリーダーである毛沢東が自分に逆らう奴ら全員追放した事件です。
これによって、国家主席が失脚してしまうので、「革命」と呼ばれます。革命とは、簡単に言えば、民衆が政府を倒すことです。
では、プロレタリア文化大革命までの経緯を見ていきましょう。2分くらいで読めます。
国民党vs共産党
第二次世界大戦後、中国は国連の五大国の一員となり、確固たる地位を手に入れました。しかし、国内では、国民党と共産党のいがみ合いが再開していました。
この2つの政党の争いを知るにはこちらの記事から↓
蔣介石率いる国民党政権でしたが、党幹部の買収、収賄などの腐敗、インフレが起こったことによる経済混乱で、国民から大ブーイングを浴びます。
一方共産党は、農民達の支持を得て、着々と人気を集めていました。そして、十分に人気が集まった頃、国民党に攻撃します。
人気のない国民党は共産党に負け続け、ついにはリーダーの蔣介石が台湾に逃げます。蒋介石そこでつくった政権が中華民国政府であり、現在の台湾なんです。
共産党が中華人民共和国をつくる
成立
一方、共産党は北京に支持者を集め、会議を開いていました。会議の結果、共産党のトップである主席が毛沢東、政治のトップである首相が周恩来に決まります。
そして、中華人民共和国の成立を宣言し、首都を北京にしました。その後、国民党を追い出し、追い出された彼らは台湾へ逃げます。
また、ロシアとの関係にも触れておきましょう。のちのち中ソ対立につながり、プロレタリア文化大革命に繋がっていきます。
大国であるロシアを味方につけたい中国は、中ソ友好同盟相互援助条約を調印し、社会主義国家として国を存続させていくことを表明します。
そのため、社会主義国家特有の五カ年計画が行われ、工業化や農業の集団化が国主導でなされます。
この中国の成立は、他の国からはどう映ったのでしょうか。
まず、社会主義国家、またインドやイギリスからは承認を受けました。しかし、社会主義国家が大嫌いなアメリカは新しい中国を国として認めず、台湾にある中華民国を中国として認めました。
毛沢東、大暴れしてしくじる
社会国家化として、工業化や農業の集団化を進めていた中国でしたが、これに対して猛烈な批判が起こります。
毛沢東はそれにブチ切れてヤケになり、それまでよりも急激に物事を進めていくようになりました。この、急激に進めた社会主義政策を「大躍進」運動といいます。
結果、農村では、農民を管理する人民公社が設立されました。
しかし、無理してことを進めたが故に、人民がそっちにとられ農業生産が激減してしまい、大量の餓死者がでてしまいます。
毛沢東は首席をおり、代わりに劉少奇という人物が首席となって、経済計画を見直しました。
中ソ対立
毛沢東はなんとか共産党の主席には残ることができました。
毛沢東は資本主義国であるアメリカと対決する姿勢を見せ、さらには、冷戦を終えて資本主義国と協力する姿勢(平和共存路線)をとるソ連を大批判します。
これまで協力してきたソ連は「カチン」と来るわけです。確かにこれはむかつきますよね。
「もう協力してやんないからな。知らないぞ。」
ってことで、ソ連は中国への経済援助を停止、さらには技術者グループを撤退させました。
こうして中国とソ連は対立するようになり、「中ソ対立」と呼ばれるようになります。論争から軍事衝突まで、とことん対立しました。
プロレタリア文化大革命
ソ連にケンカを売った毛沢東は、さらに共産党内部、つまり身内同士でもケンカを売り、対立を引き起こします。(なんてヤツだ)
共産党の中には、生粋の共産派(毛沢東、リンビョウ)と資本主義の方が国が上手く回るんじゃね?派(劉少奇、鄧小平)がいました。
毛沢東は、資本主義派を強く非難します。「おまえらなんか仲間じゃない」と。
そして、我慢がきかなくなった毛沢東は、強硬手段に出ます。なんと、革命運動を起こして、自分に逆らう奴ら全員批判、追放してしまったのです。
これがプロレタリア文化大革命という出来事ですね。結果、国家主席だった劉少奇は失脚してしまいました。
その後、軍部のリーダーだったリンビョウ(うまく漢字に変換できないのでカタカナで、、、)が失脚、周恩来、毛沢東が死亡します。
これを受けて、新しくなった華国鋒(かこくほう)首相は、毛沢東の奥さんである、江青(こうせい)を含む、文化大革命推進差を逮捕し、そこで革命運動は終わりを告げました。
文化大革命で、社会はものすごく混乱しました。知識人とかみんな追い出されちゃいましたからね。しかし、その後、鄧小平(とうしょうへい)が経済を立て直す政策を積極にたてていきます。
これは「四つの現代化」と言われ、農業、工業、科学、国防などを改革していきました。
まとめ
いかがでしたか?プロレタリア文化大革命を簡単に解説してきました。中国の現代史も結構面白いですよね。
しっかり復習して、得点につなげていきましょう。私がつくったやみくもに暗記せずに世界史の偏差値を50から60する方法もぜひゲットして下さいね。それでは!
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。