【3分でバッチリ!】百年戦争とバラ戦争の分かりやすい解説と年号の語呂合わせ!

 

 

どうも!ケイトです。

 

今回はイギリスとフランスの対決、百年戦争、そしてバラ戦争について解説し、年号の語呂合わせも紹介していこうと思います!

 

Contents

百年戦争とは?

百年戦争とは?

百年戦争とは、王位継承権を争った戦争で、イギリスvsフランスです。文字通り、1339~1453年の間、つまり約100年続いた戦争なので、百年戦争と呼ばれます。

 

語呂合わせ

 

113円、サンキュー!

百年戦争(百円)

1339(13円サンキュー)

 

113円くれたので喜んでいる人の語呂合わせです。

 

百年戦争の原因とは?

まずはこの戦争の原因です。

 

突然ですが、フランスのフランドル地方ってご存知ですか?

 

そうですね、毛織物の生産が盛んな地域です。

 

どの地域でどんな生産がされているかあやふやな人はこちら↓
ハンザ同盟、ロンバルディア同盟を分かりやすく簡単に解説してみた!

 

それでは毛織物の材料ってなんですか?

 

はい、正解。羊毛ですね。

 

羊毛はイギリスでよく生産されていたので、フランスは毛織物をつくるために羊毛はイギリスから輸入していました。

 

フランス王様であるフィリップ4世は、このフランドル地方を直接支配していたわけではなく、あくまでも間接的な支配を行っていました。

 

しかし、フランスの中でもトップの売り上げを誇る地域なので、王様は「直接支配してえええ!」と思っていました。誰でもそう思いますね。

 

 

ただ、イギリスの国王であるエドワード1世とフランドル地方の代表はフランスに併合されるのが嫌でした。それをきっかけに、イギリスとフランスは対立を始めます。

 

やがて、フランスのカペー朝が断絶し、ヴァロア朝がたちます。

 

ちなみにおさらいですが、カペー朝とは、カロリング朝が断絶した後に、ユーグカペーが始めた王朝ですね。あやふやな人は復習を。

【フランク王国攻略】メロヴィング朝とカロリング朝の違いを解説!

 

そして、ここで事件がおこります。

 

イギリスの王様であるエドワード3世でしたが、彼が「俺にもフランス人の血が流れてるんだから、フランスの王は俺がなる!」と主張したのです。

 

どういうこっちゃわからん感じで、一見理不尽ですが、彼の主張は実は筋が通っています。

 

彼のママがフランス国王フィリップ4世の娘なんです。

 

フランスは王位を奪われたくないし、これまでの羊毛やらの貿易でいろいろストレスがたまっていた両者はこれをきっかけに、爆弾に火がついたかのごとく激しく争い始め、イギリス対フランスの戦争が始まります。

 

そしてこの戦争は100年続きます。このことからこの戦争には百年戦争という名前がついています。

 

百年戦争の経過

イギリスの戦略は、長い弓で、スパンスパン的を撃つ

 

他方、フランスの戦略は、昔ながらのもので、騎士が一対一で戦うというものでした。

 

どっちが戦略的に勝つと思いますか?

 

うん、イギリスですよね。遠距離で攻撃できるので。

 

イギリスは有利になり、その勢いでエドワード黒太子という人物の活躍でフランスを破り、フランスの南西部を奪いました。

 

さらにフランスは黒死病、ジャックリーの乱などの農民一揆で荒廃、シャルル7世の時代には崩壊寸前でした。

 

しかしここで救世主が現れます。

 

フランスまさかの大逆転

満身創痍のフランスを救ったのが、みなさん知っての通り、ジャンヌダルクです。

 

国を救いなさい、という神の信託を聞いたジャンヌは、農民という身分にも関わらず、フランス軍を率い、イギリスに包囲されていたオルレアンを救います。

 

これによってフランスは勢いをつけ、カレーという地域以外のフランスの領土を取り返しました。

 

そのままフランスはイギリスを追い込み、なんと百年戦争はフランスの勝利に終わります。大逆転勝利です。

 

百年続いた戦争の影響

戦争を学ぶときは、戦争後の影響の勉強も欠かせません。

 

この百年戦争の結果、何が起こったかというと

 

・諸侯、騎士の没落

・王権の強化

でした。

 

このころ、火薬が市場に出始めていて、それを使った戦争も増えていきました。大砲や鉄砲で打ち込まれたら、カッコいい甲冑をつけて戦いに行っても、一発打ち込まれたら終わりですよね。

 

ということから騎士たちはどんどん仕事がなくなり、没落していきました。

 

また、これまでは諸侯がたくさんいる状態が普通で、権力が各地に分散しているという構図になっていました。

 

しかし、諸侯の大部分である騎士が没落し諸侯が減ると、権力が王様に集まり始めます。中央集権化が進み、国がまとまっていくのです。

 

実際、フランスはシャルル7世は商人と手を組んで、財政を立て直し、財政に余裕が出たおかげで、常備軍を作れるようになりました。

バラ戦争ってなに?

バラ戦争

ついでにバラ戦争についても解説していきます。百年戦争後のイギリスで起きた身内同士の争いのことです。年号は1455年。

 

バラ戦争はランカスター家とヨーク家間の後継争いです。

 

両者はエドワード3世の血を引いているのですが、やっぱり王様の血を引いているからには王様になりたいわけですね。

 

裏切りや内紛などゴタゴタと争いを繰り広げました。小説とかにしたら面白そうな内容です。

 

「バラ戦争」という名称は、ランカスター家の紋章が赤い薔薇、ヨーク家の紋章は白い薔薇だったからです。

 

30年ほど争った結果、ランカスター家のヘンリが内乱を治め、ヘンリ7世として即位しました。そして、ヨーク家のエリザベスと結婚して、争いにピリオドを打ちます。

 

 

身内の権力争いで30年も戦うって凄いですよね。なんのために争っているのか分からなくなりそう…。でも百年戦争の後だと、30年って短く感じます(笑)

 

ヘンリ7世はテューダー朝を開き、絶対王政の仕組みの基礎をつくりました。

語呂合わせ

 

いーよ午後のバラ

1455(いーよ午後)

バラ戦争(バラ)

 

午後のバラは良いですねえ。

 

まとめ

 

いかがでしたか?百年戦争、ついでにバラ戦争について説明しました!

 

とても重要な出来事なので、覚えておいてくださいね。

 

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それでは!

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