どうも!ケイトです。
今回は、ノウゴロド国とキエフ公国の違いと覚え方についてやっていきます!
Contents
ノルマン人とは?
そもそも、ノヴゴロド国とキエフ公国はノルマン人の国です。
ノルマン人とはスカンディナヴィア半島やユトランド半島(スウェーデンとかデンマークとかフィンランドとか、あの辺です。)にいた、ゲルマン人の一派です。
商業や海賊行為のために航海をしていた彼らは、ヴァイキングとも呼ばれます。細長くて浅い船、見たことありますか?
長い航海に耐えられるよう、とても丈夫だったそうです。技術者も今に劣らないくらい優秀だったそうですよ。
第二次民族移動
ゲルマン人に続き、ノルマン人も移動し始めます。
ロロ率いる一派は、北フランスにノルマンディー公国。この一派がさらに分かれて、南イタリアとシチリア島に両シチリア王国を建てます。
はい、ここから本題。
リューリク率いる一派はスラヴ人のいるヨーロッパの東の辺りに、ノヴゴロド国、さらにそこから移住してキエフ公国を建てます。
これらの国はロシアの起源となる国なっていきます。彼らはルーシ族と呼ばれたノルマン人でした。ノルマン人のイメージとしては北欧系の人たちですかね。真っ白な肌っていう感じです。
かといって今のロシア人の祖先がノルマン人なのかというとそういうわけではなく、ノルマン人たちは大量のスラヴ人を支配した形でしたので、多数派のスラヴ人が今のロシア人の祖先です。
北フランス ノルマンディー公国 (ロロ)
南イタリア シチリア島に両シチリア王国
ヨーロッパの東 ノヴゴロド国とキエフ公国 (リューリク)
ノヴゴロド国
ノウゴロド国は、この後にできたキエフ公国や、モスクワ大公国に影響を受けたり、併合されたりしていきます。
ノヴゴロドは、ロシア内陸の毛皮や木材をバルト海交易圏にもたらし、また南のキエフを経て黒海方面とを結ぶ商業都市として栄えます。
試験に出ることはあまりないですが、ノウゴロド国とキエフ公国が混ざらなくなるので、頭に入れておいてもいいですね。
ハンザ同盟が、商人を常駐させていた位なので、相当な商業都市だったのでしょう。
しかし15世紀に有力となったモスクワ大公国のイヴァン3世によって攻撃され、1478年に降服しモスクワ大公国に併合されます。
キエフ公国
キエフ公国が有名になるのは、10世紀の後半です。その時の皇帝が、ウラディミル1世。彼は、コンスタンティノープルに軍隊を南下させてビザンツ帝国に脅威を与えます。
しかし、その後ビザンツ帝国の国教であるギリシア正教に、自ら改宗し、「ビザンツ化」を目指していきます。
他方、西側では、西ヨーロッパ世界とローマ=カトリックが結びつき、カール大帝の時代からローマ帝国が復活しましたね。
また、次の皇帝は自分の娘達を、フランス、ノルウェー、ハンガリーの王の奥さんにすることで、影響力や勢力を増します。
こうして、東ヨーロッパ世界を徐々に構築していき、15世紀にビザンツ帝国が滅亡すると、ロシアの確固たる地位が確立されていきます。
分裂、滅亡
キエフ公国は、トルコ系民族の侵入をうけ、しだいに分裂していきます。そして追い打ちを掛けるように、13世紀、モンゴル帝国のチンギス=ハンが攻めてくるのです。
懸命に戦いましたが、敗北。さらに、バトゥが攻めてきて、分裂していたキエフ公国の1である、ウラディミル大公国が攻撃されてしまいます。
ウラディミル大公国は有力国の1つでしたが、占領されて、火の海に。
そうして、キエフ公国は敗北してしまいます。
その後、ロシアはキプチャクハン国による支配を受けますが、「タタールのくびき」と呼ばれ、ロシア帝国の独立が認められず、嘆いた時代とされています。
1480年、ようやく、イヴァン3世がモスクワ大公国の独立宣言し、ロシアへとつながっていくのです。
まとめ
いかがでしたか?
ノヴゴロド国とキエフ公国の違いを解説しました。
これで、ノヴゴロド国とキエフ公国、ロシアについて聞かれたときにバッチリ答えられますね。しっかり復習して、定着させちゃいましょう。
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それでは!
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