どうも!ケイトです。
今回はユーゴスラビア内戦についての解説と、分裂後の国々の覚え方の紹介をしていきます!
Contents
ユーゴスラビア内戦
きっかけ
ユーゴスラビア連邦は、ドイツのナチス時代に、自立でその支配から抜け出したり、ソ連に対して従順ではなかったことから、コミンフォルムから除名されたりした、個性ある国でしたよね。
しかし、このユーゴスラビアの指導者であったティトーが亡くなります。
また、ソ連が解体することにより、共産党の影響力が弱まり、ユーゴスラビアのそれぞれの連邦をまとめていていたゴムが緩んでいくわけです。
つまり、共産主義として、まとまっている義務はなくなったということです。また、自由化、民主化の機運も高まり、1991年には、クロアティアとスロヴェニアが分離、独立を宣言します。
宣言した2国に腹を立てたセルビアは、「勝手なことすんな!」と戦いを仕掛けていきます。
ユーゴスラビア内戦
実は、クロアティアとスロヴェニアは、経済先進国でした。この2国にとっては、自分らの富が他の地域にまわされるのが嫌だったのです。
しかし、独立されたら、経済がかなり落ち込む可能性があったために、セルビアは怒ったのです。
同じような内戦は、ボスニアでも発生、セルビア人勢力による民族浄化というムスリム人に対する虐殺行為、1997年には、セルビア内部でも内戦、セルビアに対してNATOが空爆、などなど、、、どんどんカオスになっていくわけです。
これがユーゴスラビア内戦ですね。
結果
結局その後どうなったかというと、2001年6月にウィーンで旧ユーゴの5カ国、新ユーゴ(後にセルビア=モンテネグロ)・スロヴェニア・クロアティア・ボスニア=ヘルツェゴヴィナ・マケドニアが話し合い、ようやく折り合いを付けます。
ユーゴスラビアには、セルビアとモンテネグロだけが残り、新ユーゴともいいます。しかし、その後、セルビアとモンテネグロ同士で再び揉めます。
セルビア内には、コソヴォという地域があり、この地域にはアルバニア系の住民が多く居ました。この地域は、セルビアから独立したい!と前々から主張していたのですが、セルビアは黙殺していました。
しかし、モンテネグロにはアルバニア系の人が多く、「おい、セルビアァ!!!」と怒るわけです。なにしてくれとんねん、と。
結局、「私達うまくやれないわね」ということで、離婚するがごとく連邦制を解消し、それぞれ独立、ユーゴスラビアは消滅します。
ちなみにコソヴォはその後独立します。
覚え方
語呂合わせで覚えてしまいましょう!
背広は黒のスベスベ持ってねえと、ボスに負けるど
セルビア(背広)
クロアティア(黒)
スロヴェニア(スベスベ)
モンテネグロ(持ってねえと)
ボスニア(ボス)
マケドニア(負け)
これで独立後の国々も一発KOですね。何度か唱えて覚えましょう!
まとめ
いかがでしたか?
ユーゴスラビア内戦、そして語呂合わせの紹介でした。しっかり復習して、得点につなげていきましょう。
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それでは!
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