みなさんこんにちは。ケイトです。
今回は、ヨーロッパの西の方、スペインやポルトガルにフォーカスして、レコンキスタを解説していきます!
Contents
レコンキスタって?
今スペインのある、イベリア半島には、ゲルマン人の大移動後、西ゴート王国がありました。
しかし、8世紀頃、めちゃくちゃ強くなった勢力があります。それがイスラーム勢力です。
イスラーム教徒は西ゴート王国を滅ぼしてしまいます。彼らは後ウマイヤ朝をたてますが、北の方に追いやられたキリスト教徒は自分らの土地を取り戻そうと、運動を始めます。
そう、それがレコンキスタです。re conquest 征服し直すみたいな意味ですね。
日本語にすると、国土回復運動です。この戦いはなんと800年続きます。
レコンキスタは成功するの?
十字軍とは違い、このレコンキスタはキリスト側が勝利します。
1085年にはトレドを攻略し、じわじわ陣営を広げていきました。
しかし、途中で、ムラービト朝、ムワッヒド朝のちょっかいが入ったために、一時的に勢いが止まってしまいます。
戦いが始まって400年ほど経った頃、半島の北半分を取り戻すことが出来ました。そしてそこに、カスティリャ、アラゴン、ポルトガルの3つの王国を建てるのです。
さらにもう少し時が経った後、カスティリャの王女、イサベルとアラゴンの王子が恋に落ち、結婚します。
この頃の恋愛結婚は珍しいですね。1479年にカスティリャとアラゴンは統合され、スペイン王国になるんです。
この頃、キリスト教徒は半島の大半を取り戻しており、あとはイスラーム勢力の拠点、グラナダだけの状態でした。
1492年、ついにグラナダを陥落させ、レコンキスタを完成させます。成功に終わるのですね。
大航海時代につながっていく
イスラーム教徒は、船に関する高い知識と技術、インドへの地図などを持つ優れた人々でした。
大航海時代にスペインとポルトガルが積極的に航海に乗り出すのも、取り戻した土地にイスラーム教徒の持っていた技術などが残っていたためなんです。
また、彼らが西の方へ向かうのも、南にイスラーム教徒がいて、南下できなかったからなんですね。
このようにイスラーム教徒は大きな影響を及ぼしているんです。
まとめ
いかがでしたか?レコンキスタについて解説しました!
結構よくでる部分なので押さえておいてください!
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