どうも!ケイトです。
今回はオスマン帝国の改革のお話です。
タンジマート、ギュルハネ勅令の順番で解説していきます!違いもハッキリさせながらサクサクいきましょう。
Contents
タンジマートとギュルハネ勅令の違い
タンジマートとギュルハネ勅令の違いはなんですか?と良く聞かれるのですが、ややこしそうで実は簡単です。
ギュルハネ勅令はずばり、その名の通り「改革(タンジマート)やりまっせ!」というお知らせのことです。
タンジマートは、改革そのものですね。
タンジマート
タンジマートとは?
タンジマートというのは、オスマン帝国で行われた西洋化改革のことです。この時代どこかしこで、西洋化、近代化が行われていきますね。
タンジマートを行ったのは、アブデュルメジト1世という人物です。スルタンが支配するイスラーム国家から、法治主義に基づく近代的な国家にオスマン帝国を変貌させました。
公平は法律を作って、宗教的な差別もなくしました。相当な変化だっただろうなと思います。
法治主義とは言っても、法律で差別を正当化することもできるわけですから、タンジマートはとても意味のある改革です。
しかし、貿易をたくさんしようと、ヨーロッパの商品を輸入すると、その商品が安くて、質がいいものばかりでした。
するとどうなるか。地域の産業が潰れていきます。
安く作れる地域の商品が、スーパーで国産より安く売られているのはイメージできると思いますが、そんな感じ。
安いし、質が良いので、外国産のものばかり売れて、国産のものが売れなくなりました。
ミドハト憲法が制定されるが、、、
クリミア戦争後、「やっぱり近代的な国家には憲法が必要だ!」と叫ばれるようになり、1876年にミドハト憲法が制定されました。
よーーーやく、立憲制になりましたね!、、、と思いきや。
ロシア=トルコ戦争が勃発し、アブデュルハミト2世はこれを口実に議会の閉鎖、憲法も停止してしまいます。多分、民衆から大ブーイング食らってますよ、彼。
結果、この戦いにオスマン帝国は負けてしまい、セルビアやルーマニアなどの領土をベルリン条約によって失いました。
ギュルハネ勅令
ギュルハネ勅令は、その名の通り「改革(タンジマート)やりまっせ!」というお知らせのことです。タンジマートは、改革そのものですね。
難しくないでしょ?これを機に覚えてしまいましょう。
まとめ
いかがでしたか?オスマン帝国の改革を中心にお話しました。しっかり復習して、知識を身につけて下さいね。
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それではまた!
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