【ややこしい!】封建制、郡国制、郡県制の違いとは?

 

どうも!ケイトです。

 

この記事では、「封建制、郡県制、郡国制の違いが分からない。。。」というお悩みを解決していきます。

 

これらは王朝の支配の仕方なんですが、この違いを分かっておくと、中国の王朝、それぞれの特徴が分かってきます。焦らずじっくり理解していきましょう。

 

Contents

封建制、郡県制、郡国制の違いとメリット・デメリットまとめ

違い

封建制→周で、君主が領土を諸侯
に与える代わりに、諸侯が君主のために戦う
統治制度

 

封建制のメリット→ 諸侯に土地を与えれば治めてくれるので、国の君主のパワーが強ければ、国家を統一しやすい

 

封建制のデメリット→諸侯に支配させることで、彼らの力が強くなりやすく、国の君主が信頼を失った際に、国が一気に壊れる

 

郡県制→秦の始皇帝が採用した中央集権的な地方制度で、全国をいくつかの郡、県に分けて長官に統治させた

郡県制のメリット→全国に役人を派遣して治めさせる形ですので、完全支配することが可能。統一国家がつくりやすくなる

 

郡県制のデメリット→君主が信頼を失ったり、地方の人々の不満が高まりすぎると、国が壊れていってしまう。中央集権では、中央の力が強くないと、不満が爆発するため。

 

郡国制→漢で行われた封建制と郡県制のミックス制度。長安周辺は郡県制、それ以外の地域は封建制。

 

郡国制のメリット→諸侯を完全に押さえつけるわけではないので、不満をかいにくいところ、また、皇帝の直轄領があることで、ある程度支配力も保てる。

 

郡国制のデメリット→封建制のように諸侯の力が増しやすく、これはこれで反乱が起きやすくなる点です。

封建制とは?

封建制は、日本の鎌倉時代にも見られた制度ですね。中国では、西周の時代から見られました。

 

君主と諸侯がいて、君主は諸侯に土地を与えました。その代わりに諸侯は君主のために戦ったのです。つまり、ご恩と奉公の関係です。

 

日本の封建制と異なるのは、血縁関係を基にしていたこと、そして、諸侯達がその土地を支配し、同時に国も治める機能を持つ、地方分権的であったことです。

 

しかし、諸侯が強くなりすぎて、独立する人も出てきたので周は衰え、春秋戦国時代に入っていきました。

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封建制のメリットとしては、諸侯に土地を与えれば治めてくれるので、国の君主のパワーが強ければ、国家を統一しやすい点ですね。

 

封建制のデメリットとしては、諸侯に支配させることで、彼らの力が強くなりやすく、国の君主が信頼を失った際に、国が一気に壊れる点です。

 

実際、周は、諸侯が強くなり、独立したおかげで衰え、春秋戦国時代に入っていきますよね。

 

郡県制とは?

郡県制とは、の始皇帝が採用した中央集権的な地方制度のことです。どういうこっちゃという感じですが、詳しく解説していきますね。

 

まず、全国を36の郡に分けます。

 

 

そして、それぞれの郡には長官、副長官、郡の指揮官、監察官などの官吏を派遣し、支配させます。

 

さらに郡をいくつかの県に分けて統治します。これが郡県制と呼ばれるものです。

 

中央政府から地方に、役人が派遣されてきて、そこを統治するというやり方ですね。封建制と明らかに異なることは分かると思います。

 

この郡県制は、秦の中国統一政策の中で最も重要な施策でした。しかし、秦では、法治主義的な要素が強すぎて、不便が多く、不満を買います。

 

結局この中央集権制度は長くは続かず、秦は滅亡してしまいます。

 

郡県制のメリットとしては、全国に役人を派遣して治めさせる形ですので、完全支配することが可能な点です。統一国家がつくりやすくなりますよね。

 

郡県制のデメリットとしては、君主が信頼を失ったり、地方の人々の不満が高まりすぎると、国が壊れていってしまうところです。中央集権では、中央の力が強くないと、不満が爆発してしまうんです。

 

実際秦は、厳しすぎる法が人々の不満の不満を買い、陳勝呉広の乱などを引き起こしてしまったわけです。

 

郡国制とは?

始皇帝が全国に施行した郡県制は、地方分権的な封建制度を否定する形で、中央集権的に全土を支配するための制度として施行されました。

 

しかし、今までの封建制から急激に中央集権化を推し進めたので、秦に滅ぼされた国々は、秦に対して不満を抱くようになりました。

 

やがて始皇帝が死去し、大規模な農民反乱であった陳勝・呉広の乱が起こって秦が動揺すると、各地で反乱が起きるようになり、秦は滅亡しました

 

この秦の失敗から学び、次の前漢は郡県制を改め「郡国制」を採用しました。簡単に言えば、「郡国制」=「封建制 + 郡県制」です。

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皇帝の直轄地には、官吏を派遣して直接支配。つまり、郡県制を。

 

それ以外の地には一族や功臣の有力者を諸侯王として配して世襲的にその地の支配権を任せる。つまり、封建制を。

 

二つを組み合わせたわけですね。

 

漢のはじめ、郡国制は機能していましたが、高祖は少しずつ諸侯王の領地を奪い統制を強めようとします。

 

その後、呉楚七国の乱が起こりますが、諸侯の勢力を抑えることに成功してから、漢は全土を実質的に郡県制的に直接統治するようになっていきました

 

結局、封建制はだんだん消えていったのですね。

 

郡国制のメリットとしては、諸侯を完全に押さえつけるわけではないので、不満をかいにくいところ、また、皇帝の直轄領があることで、ある程度支配力も保てるところです。

 

郡国制のデメリットとしては、封建制のように諸侯の力が増しやすく、これはこれで反乱が起きやすくなる点です。

 

諸侯の力が強くなることを恐れた漢の景帝が、諸侯にあげる土地を減らそうとしたところ、諸侯はぶちぎれて、呉楚七国の乱を起こしていましたね。

 

 

封建制、郡県制、郡国制の違いとメリット・デメリットまとめ

違い

封建制→周で、君主が領土を諸侯
に与える代わりに、諸侯が君主のために戦う
統治制度

 

封建制のメリット→ 諸侯に土地を与えれば治めてくれるので、国の君主のパワーが強ければ、国家を統一しやすい

 

封建制のデメリット→諸侯に支配させることで、彼らの力が強くなりやすく、国の君主が信頼を失った際に、国が一気に壊れる

 

郡県制→秦の始皇帝が採用した中央集権的な地方制度で、全国をいくつかの郡、県に分けて長官に統治させた

郡県制のメリット→全国に役人を派遣して治めさせる形ですので、完全支配することが可能。統一国家がつくりやすくなる

 

郡県制のデメリット→君主が信頼を失ったり、地方の人々の不満が高まりすぎると、国が壊れていってしまう。中央集権では、中央の力が強くないと、不満が爆発するため。

 

郡国制→漢で行われた封建制と郡県制のミックス制度。長安周辺は郡県制、それ以外の地域は封建制。

 

郡国制のメリット→諸侯を完全に押さえつけるわけではないので、不満をかいにくいところ、また、皇帝の直轄領があることで、ある程度支配力も保てる。

 

郡国制のデメリット→封建制のように諸侯の力が増しやすく、これはこれで反乱が起きやすくなる点です。

 

まとめ

 

いかがでしたか?

封建制、郡県制、郡国制の違いを解決しました。君主達が過去から学ぼうとしているのがよく分かりますね。

 

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