どうも!ケイトです。
今回は、英米戦争について解説していきます。戦争については、原因、結果、その後が大事になってきます。一つずつ押さえていきましょう!
Contents
英米戦争とはそもそも?
英米戦争とは、1812~1814に起こった、アメリカvsイギリスの戦争です。アメリカは既に独立していましたが、イギリスのアメリカへのちょっかいは、止まりませんでした。
アメリカ独立戦争はこちらから!↓
そのため、この戦争は、独立戦争に引き続き起こったという位置づけで、第二次独立戦争とも言われます。では、原因を見ていきましょう。
原因
この英米戦争は、アメリカの貿易をイギリスが妨害したことが原因で起こったとされています。貿易の妨害が起こるまでをみていきます
中立政策
アメリカは、ヨーロッパ人がごちゃごちゃと戦争をしている時、常に中立の立場を示していました。どこの国とどこの国が戦っていようが、どちらにも味方しない、という立場です。
ちなみに、この頃欧州では、フランス革命後、ナポレオンが牛耳る中で、イギリスとフランスが戦争していました。
アメリカの話に戻りますが、アメリカはなぜ中立主義をとったのでしょう?強い国に味方して、協力得ればいいじゃん!とか思いますよね。
この中立主義は、初代大統領であるワシントンの頃からとられたものなんですが、ここで問題です。
ワシントンが大統領に就任したのはいつでしょうか?
。。。。。。
。。。。。。
そう!大正解!1789年、フランス革命の年です。
アメリカは独立ホヤホヤ。
ただし、独立戦争で疲れ切っておりました。国が疲れ切っていると、他国から攻め込まれたり、国民によって反乱が起こされたり、というリスクがあるので、早急に戦後の復興、国を建設していく必要があります。
ここで、さらに問題に巻き込まれたら困るわけで、アメリカは、ヨーロッパではフランス革命の真っ最中でしたが、心底「巻き込まれたくねえ!」と思ったのです。
ってことで「なんか革命起きてるけど、どっちにも味方しない!」という立場を取ったのですね。
海上封鎖
中立な立場をとり続けて20年。大統領は受け継がれて、既に3代目、ジェファソンです。
この時、アメリカは、ナポレオン統治下の欧州と貿易していました。(フランス革命やナポレオンのお話は、要復習です)
ここには、イギリスもフランスも含まれます。ちなみに、イギリスとは、農作物を輸出し、工業製品を輸入する貿易をしていました。
さて、ナポレオン統治下で、大陸封鎖がなされたのは覚えていますか?
復習しておきましょう。
ナポレオン率いるフランスは、革命の時に、トラファルガーの戦い、という海戦でイギリスに負けたことをずっと根に持っていました。
革命が終わって、ヨーロッパ中を支配することに成功したものの、イギリスだけはまだ屈服させられていない状態だったのです。
ここでフランス(ナポレオン)はイギリスを攻撃するために、軍事行動ではなく、経済を攻撃するという手段に出ます。一回戦争で負けているので、武力では叶わないと思ったのでしょう。
代わりに何をしたかと言えば、イギリスの港に船が入ることを、ヨーロッパ中の国に対し禁止したのです。
狙いとしては、フランスの市場からイギリスの工業製品をすべて追い出し、イギリス製品がまったく売れないようにして、
イギリスの製品を締めだし、フランスの産業を発展させるだけでなく、また、他の国に、イギリスに穀物等を輸出することを禁止することで、イギリスを弱体化させようと目論んだのでした。
ただ、イギリスは当時産業革命中であり、ロシアなどの国と、工業品の輸出と穀物の輸入という取引で、十分経済が回っていた状態でした。(ロシアはフランスに内緒で、イギリスと貿易してました)
そうは言っても、穀物の輸入と、工業製品の輸出が、他国によって著しく制限されたことについて、天下のイギリスも黙っていません。
イギリスはついに反撃に出ます。
イギリスは「倍返しだ!」と言わんばかりに、フランスの港に船を到着させること禁止します。それも、全ヨーロッパとフランスの植民地に対して、行いました。
これは何を意味するかというと、ナポレオンの大陸封鎖令によって、アメリカ船はイギリスの港に入れなくなったにも関わらず、それに加えて、イギリスがフランスにやり返したことで、フランスにも行けなくなってしまったわけです。
これを海上封鎖といいます。大陸封鎖とセットと覚えてしまいましょう。
中立な立場だったアメリカは、何の落ち度もないのに、貿易を妨害され、ガチギレ。しかも中立な立場を取りづらくなり、貿易を再開するために、どちらかの国と戦わざるをえなくなりました。
アメリカ国内には、フランスが嫌いな人も、イギリスが嫌いな人もいましたが、段々とイギリス嫌い派が増えていきます。
この理由は貿易の他にもいくつかあります。ひとつ紹介しておくと、「インディアンの保護をイギリスが行っているから、西部開拓ができない」とかですね。
こうして、戦いの機運が高まり、「英米戦争」が始まっていきます。
結果
結果的には、どっちが勝ったとは言い切れないという説がほとんどです。
欧州で講和が成立したのに、船でアメリカに行くまで6週間かかったから、戦争が終わったことがアメリカに伝わるのが死ぬほど遅れたという話もあります。
このように勝敗はよく分かっていないのですが、アメリカは、勝敗がよく分からない状態で、勝利宣言をします。(なんかアメリカっぽい)
この戦争で大活躍したアメリカ軍の大将であるジャクソンという人物は後の7代目大統領となります
その後
戦争を勉強したらその後の影響も学んでおきましょう
経済的自立
アメリカは、度重なる戦争によってイギリスと仲が悪くなったため、イギリスの工業製品が輸入できなくなりました。
ただこれがプラスに働いて、アメリカは、工業化が進み、農業に頼った産業から抜け出しました。特に、木綿工業が盛んになります、
また、アメリカが一丸となって戦ったため、アメリカ人としてのナショナリズムも高まったとされています。
モンロー宣言
また、5代目の大統領、モンローは、モンロー教書を発表し、「欧州はアメリカに関わらないでくれ。その代わり、アメリカも欧州には関わらない」という約束をしました。
この頃、ヨーロッパでは、ウィーン体制でした。
元々ラテンアメリカを支配していたスペインの力が、フランス革命によって弱まってしまったために、ラテンアメリカでは多くの国が独立しましたよね。
このラテンアメリカでの独立ラッシュを見ていたスペインは、オーストリアのメッテルニヒやロシア、フランスなど、神聖同盟諸国の助力を得て、ラテンアメリカの独立に干渉しようとしていました。
そこでアメリカは「モンロー宣言」で待ったをかけたわけです。
「アメリカはアメリカ、ヨーロッパはヨーロッパで、お互い干渉しないようにしよう」と。
このように姿勢は、孤立主義と呼ばれるようになり、中立を守ると同時に、南北アメリカへの、ヨーロッパの干渉を排除し、アメリカ合衆国が排他的にラテンアメリカ等を支配するようになったのです。
まとめ
いかがでしたか?
英米戦争について、誰よりも簡単に解説してみました。しっかり復習して定着させちゃって下さい!
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